池袋暴走事故に見る社会の害 現代の”ジジイ”たちの異常
2019年4月19日に東京都豊島区東池袋で発生した自動車暴走死傷事故。
31歳の母親と3歳の女の子が犠牲になったこの痛ましすぎる事故は、間違いなく事故史に残ることになる大事故だ。
その理由は、亡くなった母子が31歳と3歳という幸せまっただ中の年齢だったこともある。被害者の父親だけがこの世に取り残されるというあまりに惨い結果となったということもある。
だが、この事故の最たる特異な点は、事故を起こした加害者がなんと87歳という高齢であったことではないだろうか。
今ここで、加害者である飯塚幸三容疑者(当時87)をバッシングするつもりはない。ただ、飯塚容疑者の起こしたこの事故が、社会にはびこる高齢者の異常の極みであったということを僕は言いたい。
現代のジジイたちの異常
現代の社会において、高齢老人男性、つまり”ジジイたち”は社会の害となっていると僕は考えている。ずっと自分の中でくすぶっていたことだったが、この事故で確信をした。
- そのへんでぷかぷか歩きタバコをしているのは、だいたいジジイ
- 駅員への暴力が最も多い年代もジジイ (鉄道各社の報告書による)
- マンションの総会でワァワァわめきたてるのも、だいたいジジイ
- お店や病院で激しくクレームをつけているのも、だいたいジジイ
歩きタバコと、死亡事故を一緒にしてはいけないと思うかもしれない。だが、これは労働災害における経験則の一つである「ハインリッヒの法則」に通ずるものであるのだ。
ハインリッヒの法則とは、一つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。つまり、今回の池袋の事故は、社会にはびこっていたジジイたちの”異常”が、ついに”重大事故”として表面化しただけ。そう思わざるを得ないのだ。
世の中からズレていくジジイたち
歩きたばこをしたり、わめきちらしたり、殴ったり、どうやらこういうのを「シルバーモンスター」とか言ったりするらしい。
その類のモンスターには、僕も何度か遭遇したことがある。そのうちの1度は攻撃もしかけられた。こういう人たちを見ていて思うのだが、彼らにはおそらく悪意が無い。「悪意がない」というのは、とてつもなくタチが悪い。 直しようがないからだ。
では、なぜ悪意が無いのか。僕の持論だが、彼らは世の中の変化についていけなくなっているのだと、思う。自分のしていることが世間とズレていること自覚できないのだ。
歩きタバコも、クレームも、暴力も、ジジイの中の常識が古代から変化していないことがおそらく根本にある。
「外だからタバコ吸っていいに決まってる」
「こういう場合は昔はこうしていた」
今では通じないそんな常識を変わらず持っている。から、彼らからすると我々が非常識なわけだ。
いわゆるシルバーモンスターは、いつからシルバーモンスターになるのだろうか。20年生きた猫は猫又になるとかいうが、昔は社会をけん引していた優秀な人々は、いつからモンスターと化すのだろう。
僕はそれは、仕事を退職または現役を引退してからだとおもう。社会から分断され
、情報の流れがぷっつり途絶え、そして、ジジイたちの常識は固まるのだ。
人は、知らないことに対しては謙虚であるべきである。「郷に入っては、郷に従え」ということわざにもあるとおり、知らないところにきたらまわりに合わせろと、そういうことだ。昔は、その場所のルールというものが変わることはそうそうなかったのだろう。だが現代においては、ルールが徐々に変わることがルールなのだ。
ただ、残念なことにほとんどのジジイたちは、プライドが高く、知らないことがあるということ、物事が変わったことは認めようとしない。こうなれば、徐々に変わるルールについていくことなどできるはずもない。
そして固まった古代常識を振りかざし、シルバーモンスターと化すのだ。
断っておくが、世の中には尊敬すべきジジイもたくさんいる。僕の知り合いのジジイの一人は、とても世の中の変化に敏感だ。もともと記者をしていたこともあり情報通なのだろうが、小学生の孫や息子嫁の話から新しい情報を得たり、様々な世代の人と話をして情報を得ている。会って話をするたびに、新しいことを教えてくれて、本当に感心するばかりだ。
対策は無い。せめて自分にできること。
そう。対策はない。全くない。
こんな記事を書いても、ジジイたちの目に留まることはないだろうし、そのへんにいるジジイたちに、近々の情勢を伝えて回るわけにもいかない。そもそも、そういうジジイは世の変化など聞き入れる気などもない。往々にして、若年者を見下しているから、伝えようとしても「バカにするな」と激昂する。
ハッキリいうと、今のジジイたちを変える手段はないと思う。
ではなぜこんな記事を書こうと思ったのかというと、僕たちにもできることがあるからと考えたからだ。
僕たちにできること、それは「いつかそんなクソジジイにならないようにすること」だ。人を変えることは難しい。でも自分がいつかそうならないように意識しておくことはそれほど難しくはない。
でももしこれを読んで賛同する男性諸君がいたら、この記事のことを心の片隅に留めておいてもらえるととても嬉しい。そしていつか歳をとったときに、ともに社会に迷惑をかけない良いジジイになれれば良いなと思う。